『合わせ鏡』というものを知っているだろうか?
 満月の日の真夜中――午前零時零分。まさに時計の長針と短針が重なった時に合わせ鏡を作り、その月光で映える鏡の中を見ると何かが起きるという伝説である。
 「自分の将来や過去が見える」
 「霊(守護霊や幽霊など)が見える」
 「悪魔が見える」
 「自分の望んだものが見える」
 ……などなど、様々な説があるようだ。
 だが、こんなものは有り体に言って『都市伝説』や『学校の怪談』というオカルティックな話で片付けられる。

 だが、カレやカノジョにとっては少し話が異なってくる。
 例えばカレ――衛宮士郎にとってのことである。
 彼は性格的にちょっと特殊なところもあるけれど、学力や身体能力などは至って平凡であり、その容姿にしたってごくごく普通の高校生といったところである。
 だが唯一、普通の高校生と違うところもあった。
 それは衛宮士郎が『魔術師』である、ということ。
 半年ほど前、彼はとある戦争に『魔術師』として参加した。その戦争の最中、彼はその『合わせ鏡』の性質を内包する『あるモノ』を創造した。
 では、その『合わせ鏡』の性質とは何か?
 それは――無限世界、並行世界。異次元の門。
 鏡とは相手を映し出すもの。その鏡が鏡を映し出せばどうなるか?
 その鏡は「鏡」を映し、「鏡」は『鏡』を映す。その『鏡』は【鏡】を映し……といった具合に、二つの世界が複合させていき、仮想の無限世界をその中に作り出す。
 人間というものは有限世界の存在。『0』と『1』で成り立つ世界の存在。
 だが、無限世界にはたとえ『0』はあっても『1』がない。つまり、その無限世界の中では人間は『己』を見失う、あるいは『己』が消えるのである。
 故に人の身では無限世界を扱うことはできない、存在することはできない。もし仮にそこに存在できるものがいるとすれば、それはもう人間ではない。もう少し具体的に言えば、『魔法使い』という人とは異なる存在だけだろう。

 ……話が脱線してしまった。
 とにかく人である以上、無限世界には恐怖や不安を抱くということであり、そしてその恐怖や不安が人に幻を見せる、という話なのである。それが「将来の姿」だったり「幽霊や悪魔」だったり……色々ということである。
 それが魔術師である衛宮士郎にとっては、もしかしたら幻ではなく、真実を見ることになるかもしれないが……。


 では、カノジョ――周りに『ライダー』と呼ばれるその女性にとってはどうだろう。
 彼女も衛宮士郎と同様に先の戦争を戦った者の一人である。
 背は高く、体型もスレンダー。そして長く伸びた絹のように美しい髪。周りの人が見れば、モデルか何かだと思うことは間違いないだろう。
 だが、実は言うと彼女は厳密には人間ではない。だからと言って、先程の『魔法使い』というわけでもない。
 彼女は神話の時代、『メドゥーサ』と呼ばれる女性だったモノである。

 メドゥーサ――これも合わせ鏡の伝説と同様に、一度は耳にしたことがあるかもしれない。ギリシャ神話において、英雄ペルセウスが怪物メドゥーサを討伐したという伝説のことである。
 彼女はその戦いを機に、鏡を……いや、『自分の姿を見る』ことを嫌うようになった。
 何故なら、それは……。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「あれ、そこに居るのは……ライダーか?」
 夜も寝静まった頃、俺は自らの喉に渇きを感じ、布団を抜け出して居間にやってきていた。
「士郎ですか? どうしました?」
 あまり自信のなさそうな声からの言葉だったが、返ってきたその声に俺は安堵する。
だが、そんな風に一喜一憂してしまったのには訳があった。
 それは……この居間が真っ暗だったから。
 窓からは月光が差し込み、シルエットとある程度の造形が判断できたからこそ、そう呼びかけたのだが、疑問も思わざるを得なかった。
「それを言うならこっちの台詞だ。ライダーはこんな時間にこんな場所で……明かりもつけずに何をやってるんだ?」
「すみません。ちょっと……」
 そう言うライダーは顔を俯かせ……と言うよりは、下にある何かを見ているようだった。
「こんなんじゃ何も見えないだろう? 電気つけようか?」
 だからこそ、彼女にそんな言葉をかけるのだが……。
「止めて下さいっ!」
 手探りに電気のスイッチに指を伸ばした次の瞬間、この静寂な夜を壊落させるような声が響き渡った。その声は怒号と言うよりか、どこか悲痛な叫びに感じられる声が。
「ご、ごめんっ」
 俺は慌てながらもすぐにスイッチから指を離すと、何故かその手を後ろに隠した。
「あ……いえ。こちらこそ申し訳ありません。今電気をつけられると、見たくないものを見てしまうことになってしまうので、つい……」
「見たくないものを見る?」
 ライダーの言葉にどこか歯切れが悪い。と言うよりもむしろ見たくないのであれば電気を消すのではなく、そのもの自体を見ていなければいいのに……と思うだが、先程の手前、どうしてかそう口にすることはできなかった。
 だが、ライダーがあれほどに拒否するモノには少なからず興味もあった。故に俺は電気をつけることもしないまま、その居間に足を踏み入れ、そしてライダーが見ているであろう何かに目を向けた。
「それ……は……?」
 ライダーの視線の先、食卓の上には一対の『鏡』が置かれていた。とは言っても、この暗さである。鏡はその特徴を失っているため、『鏡らしきもの』が置かれていた……と言った方が適切かもしれない。
「悪いけど、もう一度聞いてもいいか?」
「……はい」
「何を、やっているんだ?」
「…………」
 ライダーは応えない。無言のまま、そのモノを見つめ続けている。
 そんな中、カチコチと微かに聞こえる秒針の音。ここへ来る前に見た時計によるともうすぐ日付が変わるというところだろう。
「…………」
 その秒針の音を十数回聞くほど待ったが、やはりライダーは何も応えてはくれなかった。
 ライダーがそれほどまでに頑なに守る沈黙。その中に潜む思いは自分が触れていいものではないのかもしれない。そう感じ取った俺は、回れ右をして居間の出口へ爪先を向けた。
「……ぁ」
 だがそこで再び気付いてしまったのは、喉の渇き。ここに赴いた本来の目的である。
「…………」
 だが、後ろを振り返れば相変わらずのライダーの姿。この際は諦めるしかないか……そう自分の中で小さく呟くと、足を一歩前に進ませた。

「……士郎」
 しかし、その歩みも一歩目で止められてしまった。
「な、ななな……何だ、ライダー?」
 突然のライダーの声に驚きはしたものの、別にやましいことは何もない。それなのに、俺の声は何故か裏返り、震えていた。
 それはライダーの声が……いやいや、この部屋の暗さが怖かったからだ、ということにしておこう。
「士郎は……鏡は好きですか?」
「……は?」
 ようやく返事をしてくれたと思ったら、そんな問いかけ。その唐突さと質問の真意が計れず、ついつい素っ頓狂な声をこぼしてしまった。
「あ、いや……悪い。それで、鏡が好きか、だっけ? どうだろうな、大して意識したことはないから好きでも嫌いでもないかな。ライダーは……」
 そこまで口にしたところで俺は言葉を止めた。
 いつだったか忘れたが、ライダーから聞かされたことがある。鏡が『嫌い』な理由――『鏡に映る自分の姿を見るのが嫌い』ということを。そしてそれはある意味、トラウマであるということを。
「……あれ?」
 また首を傾げる。
 では何故そんな嫌いなものを食卓の上に並べて見ているのかという疑問が湧いたから。
 ……と、俺がそんな疑問を抱くことを見透かしていたようにライダーは答えた。
「今日サクラが買ってくれたものなのですよ。私はいいと断わったのですが、言って聞かなくて……」
 フッという笑みと共に息がこぼれる。それが純粋な笑みなのか、苦笑なのかは俺には判断できなかったが。
「桜はライダーが鏡を苦手なことを知らないのか?」
「いえ、知っていますよ。ですが、『鏡は女の子の嗜みなんだから、苦手でも克服しないと!』と無理矢理に」
「な、なるほど」
 なんとなく想像ができた。
 ライダーが桜に対して色々面倒を見ているように、桜もまたライダーに色々世話を焼いている。
 例えば風呂上り……彼女らが交代交代でお互いの髪を梳き合う光景は傍から見ていても微笑ましいものがある。それこそ、まるで本物の『姉妹』のように。
「ライダーも大変だな」
「……かもしれません。けれど、嫌ではないですよ。サクラが私のためを思ってわざわざ買ってくれたのですから。むしろ嬉しいくらいです」
「……そっか」
 この暗さと向きではライダーの表情を見ることは出来ない。けれど、今のライダーの表情もなんとなく想像できた。多分、ものすごく穏やかで、ものすごく美しい顔をしているのだろうと。
「でもさ、桜の言う通りだと思うな。ライダーは美人なんだしさ、自分で肌の手入れとかもやった方がいいと思う」
「し、しかし……」
「桜だってさ、ライダーには綺麗でいて欲しいんだと思うぞ。何と言うかさ、桜のやつ、ライダーのことを自分のことのように自慢してくるんだ」
「…………」
「そんなさ、『自慢の姉』なんだよ……桜にとってライダーは」
「士郎……」
 その言葉にライダーは大きなため息をつく。あるいは、深呼吸か。
 そして、目の前に置いてある一対の手鏡の内、片方を手に取った。
 ……裏返しで。
「ライダ〜〜?」
「い、いえ。これはですね……元から伏せて置いてあったので仕方なく」
 などと未練たらたらに言い訳をしてくるライダーがちょっとおかしく、そしてすごく可愛らしく見えた。
 ……と言うのは口に出さずに内に秘めておくだけにしよう。
「それならっ!」
 カモシカもビックリの一跳躍でライダーの傍らに近づくと、すかさずにもう片方の手鏡に手を伸ばす。
「あっ、それは……」
 ライダーも反射的に手を伸ばすが、それでは遅い。一足先……というのはちょっとおかしな表現だが、俺は自分の手に確かな感触を掴んでいた。
「ほら、ライダー。まずはこの暗さの中でから克服していこう」
 そしてズイッと手に握った鏡をライダーの真正面に突き出した。
「し、士郎!? ちょっと待っ――!?」
 しかしライダーはそれを自らの手の中のモノで防いだ。
 その姿はまるで、メドゥーサの魔眼を見ないよう用いたあの青銅の盾を持つペルセウスのように。

 向かい合った鏡と鏡。
 時刻もちょうどいい頃合い――深夜の零時零分。
 僅かにその身を隠していた天空の月は、そのときその姿を完全に露にした。

「こっ、これは……!?」
 俺の持つ手鏡が月光を反射して、急に大きな光を放ち始めた。しかもそれは俺のだけではなく、対面に存在するライダーの持つ手鏡も同様だ。
「士郎! これは……魔力の光です。何か嫌な予感がします。早くその鏡を別の方向へ向けて……」
「や、やってる! やってるんだが……、全然動か……な……、くっ!」
 ライダーも言う通り、突然発せられたこの光にはとてつもない魔力の奔流を感じた。それと同時に嫌な予感……と言うよりは不安や恐怖に近い感情が浮かび、すぐにそれをなんとかしようとするのだが、ビクともしない。それも腕ごと石化してしまったかのように動かすどころか話すこともできないのである。
「ライダー……は?」
「す、すみません。これほどの魔力は……私……でも……、うぅ」
 冗談だろ? と笑い飛ばしたかった。
 ライダーは稀代の姫君、メドゥーサという英霊。キャスターなどに比べれば確かに低いものの、人間の魔術師からすれば途方もないほどの魔力を秘めている。さらに、力などはセイバーにだって匹敵するかもしれないほどである。
 そんな彼女でも何もできないなんて……笑うしかないだろう。
「士郎、このままではまずい! 伏せてくださ――」
 腕が空中で固定されてしまっている。これでは伏せることすらできなかった。
 迫ってくる魔力の波。魔力感知は大してできないが、この魔力がどれほどのものかくらいは俺でも把握できた。
 この魔力が発現したら何が起きるのか? などということを考えていられる余裕もなかった。ただ必死に、文字通り死に物狂いでこの恐怖を回避しようと……、だが。
「くっ、そおおぉぉ――っ!」
 響き渡る絶叫。
 そして、俺たち二人の姿はその光に飲み込まれていった。

 その閃光と轟音。
 俺はそれらをちゃんと意識する中で見て、聞いていた。魔力と共に溢れ出した光も音ももの凄かったけれど、特に人体に何か危害を加えるようなものではなかったようだ。
 勿論、それらが止んでしばらくしても視力と聴力は簡単には回復しなかったけれど。
「うっ、うぅ。一体何がどうなって……」
 ようやく目が慣れてきた。耳の方は元々静寂だったためによく分からないが、今言った自分の声がそれなりに聞こえたのだから問題ないと言えよう。
「そ、そう言えば、ライダーは無事なのか?」
 ぼんやりとする光景。目を凝らして見つめてみると、ふと違和感に気付いた。
「…………」
 目の前に見える影。少し大きなそれは多分ライダーで合っているだろう。
 だが、もう一つ……いや二つの影が俺の視界に映っていた。
 しかもそれは食卓の上に並んで立っていた。
「あっ、あぁ……。ま、まさか……そんな……」
 その震える声は誰のだろうと疑ってしまう。普通に考えれば、当然ライダーのものなのだろうが、彼女がそんな怯えた声を出すということがまず信じられない。
「ラ、ライダー?」
 そんな声の持ち主に俺もどこか震えた声で呼びかける。

 ――ゾクリ

 そのとき、俺の背に氷柱を突き立てられるような感覚に陥った。
そして、よく見えないが、ふとあの二つの影が一瞬こちらを睨みつけてきた……ような感じがした。
「――――――」
 その影が何かを呟く。これは『ような』ではない。間違いなく何かを呟いた。
 心が潰されそうなくらいの恐怖と不安があった。それでも、俺はその言葉に耳を傾け……そして聞いたその言葉に、俺は乾いた喉をさらに枯渇させた。

「ご機嫌いかがかしら、メドゥーサ」
 一つの影がライダーに向かってそう呟く。
 それに呼応してもう片方の影もまた……こう呟いた。

 ――今夜はこんなにも、月が、綺麗ね―― と。







合わせ鏡
〜幸せの記憶〜







 怯えていた。その二つの小さな影に……あのライダーが。
 そしてその影の一つがついに動いた。
 ――ポカ
「あいたっ」
 影から伸びた細い影がライダーの頭を小突く。その光景も奇怪だが、それほど威力は無さそうなのに仰々しく泣き声を上げて痛がるライダーもどこか奇怪だ。
「ラ、ライダー?」
 ライダーに助け舟を出そうかと試みるのだが、俺の口から出る言葉はどこか弱々しい。多分自分以外の誰にも聞こえないんじゃないかって思うくらい。
 ――ポカ
「あいたっ」
 今度はもう片方の影から伸び、同じようにライダーの頭を揺らした。
「私が呼びかけているのよ。返事くらいしたらどうなの!」
「ひっ、ひいぃ〜。ご、ごめんなさい、姉さま方」
「……へっ?」
 これほどまでに怯え、誰かに懇願するライダーが今まであったろうか?
 ――いや、断じてない。もしかしたらこれは『合わせ鏡』が見せている幻なのかもしれない。
 ブンブンと頭を左右に振って雑念を飛ばす。
 ――落ち着け。まずは冷静になれ。今起きた事態を収拾させよう。

 まずはライダーが桜に手鏡を買ってもらった――――これはいい。
 次にライダーのためを思って、俺は彼女に鏡を向けた。そうしたら、彼女は持っていた自分の手鏡で見ないようにした――――ここからが問題だ。
 向かい合わさった鏡が共鳴し、ものすごい魔力を発し始める。そして俺とライダーは為す術もないまま、魔力の光と音に包み込まれた。
 そのとき起きたであろう出来事が分からない。ちゃんと意識はあったけれど、何も見えず何も聞こえなかったからだ。
 それからようやく目と耳が正常に機能し始める。そこで違和感に気付いたんだ。
 ……それが二つの影。
 その影はどうやらライダーに向かって何かを呟いたり、小突いたりしていた。
 正体は全く分からないが、どうやらライダーはその影に酷く恐怖しているようだった。そんな彼女は確か、影に向かってこう言ったのだ。
 ――ごめんなさい、姉さま方、と。


「……はぁ? 姉さま!?」
 俺はその事実に驚愕するのと同時に、その真偽を確かめるために立ち上がった。
 ドタドタと五月蝿い音を踏み鳴らしながら、入り口付近に走り寄り、居間の電気のスイッチを押した。
「……あら? 急に明るく」
 その声は食卓の上に立つ『二人』のどちらかのものだ。
 だが、その二人は突然明かりがついたことを別段気に留めることもなく、相変わらずライダーに視線を投げかけていた。それも随分ときつそうな。
「メドゥーサ、ずいぶんと変わった格好をしてるのね」
「それは何? もしかして私へのあてつけかしら?」
「めっ、めめめ、滅相もないです! こ、このような衣服は姉さま方のと比べれば……」
 やはり、俺は幻を見ているのかもしれない。ライダーがあんなにもただひたすらに平伏してるなんて。
「それよりもどういうこと? 私がこうして貴女の前に来てあげたのよ。何か出すものとかあるでしょう」
「えっ!? あ、あの、それは……」
「相っ変わらずの木偶坊ね! 『私』はもてなしをしなさい……と言っているのが分からないの、この駄メドゥーサ!」
「も、申し訳ございません。ただいま……」
 ライダーは最早反射的に立ち上がり、台所の方へと足を向ける。そして足取りもままならず、俺のことだって一瞥もすることなく、その奥へと消えていった。
「…………」
 俺はその後姿と不規則に揺れる髪の毛をただ呆然として見送った。

 台風一過、ようやくこの居間に静寂が戻ってきた。とは言っても、今度は台所の方がトンデモナイことになっているようだが。
 しかしトンデモナイのはそんなことよりも、先程のライダーたちの会話の方だ。
 何か異次元に迷い込んでしまったのではないかと錯覚してしまうほどのやりとり。ライダーのあの態度。そして何よりもこの……。
「あら、そこで醜い顔のまま転がっている人間は誰かしら?」
「あら、本当。全く気付かなかったわ」
 酷い顔の『人間』……と言えば、多分俺のことなのだろう。何せ、今ここにはその二人以外には俺しかいないのだから。
 だが、そこまで言われて黙っていられるほどに俺も我慢強い人間ではない。故にすぐにでも文句の一言でも返したいところなのだが……何故か口が上手く動かなかった。
 二人……それは小さき少女。ライダーと同じ瞳、同じ髪を持つが、ライダーの腰か胸あたりまでしか身長はない。その服装はライダーとは対照的に白、しかもフリルのついた可愛らしいもの。
 しかしそんなことより何よりも驚くべきことは、その二人の少女が双子のように瓜二つということだ。間違いなく外見では区別するのは不可能だろう。
「……まったく。いつの時代も男って生き物は変わらないわね」
「まぁ、仕方ないわね。あのメドゥーサの男なんだから……」
 ――なにか酷いことを言われているような気がする。それにとんでもない誤解もしているようだ。
 流石にその誤解だけは解いておくべきだろう。
「あ、あの……すみませんが、お二人方。別に俺はライダーの男ってわけじゃ……」
 だが、何故か敬語になってしまうというのは何と言うべきか。
「はぁ〜、二十五点」
「えっ、何?」
「アレの見る目も腐ったのかしらね」
 ――聞いちゃいない。そしてさらに酷いことを言われている気がする。
 なのにやっぱり文句は言えない。彼女らが放つ独特のオーラに気圧されているのだということを自分自身でも実感しているから。

「……?」
 そんな風に落胆していると、俺はふと視界に何かの姿を見た。
 ――チョイチョイ、チョイチョイ
 そんな音が聞こえてきそうなほどに可愛らしい仕草。そんな仕草をするライダーの姿を台所の奥に見た。
「ライダー?」
 その表情は明らかな困惑に満ちている。あのライダーが、それも心の底から震えて。
 そんな表情を見せられては動かないわけにはいかなかった。例えこの少女たちのきつい視線をこの身に受けようとも。
「ちょっと、失礼」
 ただそれだけ言ってから立ち上がり、俺は彼女たちに背を向けた。
「どちらへ行くのかしら?」
「すみません、ちょっと……」
 それだけなのに冷や汗が伝う。だが俺はそれを必死に堪え、ライダーの下へ、台所の中へと逃げ込んだ。
 彼女らの冷笑を聞きながら。



「……はぁ、はぁ、はぁ」
 台所に入るとため息を一気に吐き出した。それから落ち着く間もなく、最大の疑問を最小の声でライダーに問いかけた。
「あの二人……誰?」
 その問いに、ライダーは酷く顔を歪ませた。涙目にすらなっているように見える。
「あれは……姉さまです」
「姉さまって、ライダーの?」
「……はい」
 ――驚いた。何が驚いたかって言えば、ライダーに『姉』がいるということに。
「知らなかったな、メドゥーサに姉妹がいたなんて」
「それはまぁ、姉さまたちには私のような武勇伝はありませんから、その辺りのことはこの極東の地にまでは大きく広がらなかったのでしょう……、あっ」
「うん?」
 しまった、とばかりにライダーは急に口を押さえる。
「い、今のは聞かなかったことにしてください。お、おねがいします、士郎〜」
 そして手を振りながらこちらに迫ってくる。
 弱々しい声、すがるような瞳、潤う涙、赤く染まった頬。いつもと違う彼女の様子に俺は胸の高鳴りを隠せなかった。
 だが、そんな態度を見せるくらいの存在ということだろうか……彼女の姉たちは。
「わ、わかった。今のことを聞かなかったことにする。それよりも彼女たちは……?」
 恥ずかしさをなんとか誤魔化しつつ、疑問の続きを口にする。
「……はい。私たちはゴルゴン三姉妹と呼ばれていました。それぞれの名前を長女からステンノ、次女をエウリュアレ……そして末女がメドゥーサ」
「ステンノ、エウリュアレ、メドゥーサ……か。もしかすると言っちゃ悪いことなのかもしれないけど、なんでライダーだけ全然似てないんだ? 上二人はあんなにそっくりなのに」
「それは……私が失敗作だからです」
「失敗作?」
 ライダーの表情にふと影が落ちる。
「そうです。本当なら私も姉さまと同じ姿で生まれるはずだったのですが、何らかのミスがあり、私だけが特異な性質をもつモノとして生まれてしまったのです」
「特異な性質? じゃあ、もしかするとライダーのお姉さんたちは魔眼とかは使えないってことなのか?」
「はい。それどころか、戦闘という点においては全くの無力です。けれど、その代わりに姉さま方の魅力には神々すらも嫉妬するほどのものがあります」
 あまりに突飛すぎる話なのだが、妙に納得してしまった。
 ――なるほど。先程感じた独特のオーラはこういうことか。とは言え、先程のは惹きつけられるものではなく、見下されるようなものだったが。
 しかし、そう語るライダーの表情もどこか暗い。
身長と可愛らしさ――彼女がいつもそれらに後ろめたさを感じているのは彼女も姉に羨望……いや、嫉妬しているからなのかもしれない。
 そういった内面の問題はこの際はあまり深く追求するべきではないかもしれない。そんなことよりも……。
「じゃあ、なんでそのお姉さんたちが急に現れたんだ? サーヴァント……なわけはないよな? やっぱりさっきの鏡に問題があったってことか?」
「それはそうでしょうね。あれほどの魔力量です。何かが起きないほうがおかしいです」
「そっか。じゃあ俺たちがまずしなくちゃならないことはその辺りの原因の究め……」
 ――ガッ!
 急に両腕を掴まれた。しかもものすごい握力で。骨が軋むほど。
「い、痛い。いたいたいたい……って、ライダー!」
「私を助けると思って、何か軽食を用意してください」
「とっ、とりあえずはその手を放そうよ。ねっ、ライダー?」
「こ、これは失礼いたしましたっ」
 掴んでいた手を放し、即座に俺から距離をとる。
 しかし、その痛みはなかったことになるわけでもなく、二の腕はじくじくと悲鳴を上げていた。

「そ、それで……軽食っていうのはつまり、あのお姉さんたちの言ってた『おもてなし』用のってことだよな?」
「は、はい。姉さま方に促がされて反射的に台所に立ったのですが、材料の位置も何を作ればいいのかも全く思い浮かばず……」
「ふむ……」
 ライダーは決して料理がからきしダメということはない。藤ねぇなんかと比べ物にならないだろう。だが、それでも彼女一人に全てを任せて何とかなる……というレベルにもまだまだ程遠い状況だった。
 ならば、どうしたらいいのか? ――答えは一つだ。
「なら、一緒に作るか。実の姉へのおもてなしなんだから、ライダーが作らないのは嘘だからな」
 そうだ。どういうわけかは理解できないが、ライダーは姉と再会できた。表面的に見る限り、ライダーは彼女らに恐怖心しか抱いていないようにも見えるが、それでもどこか楽しそうにも見えた。勿論、苛められて楽しいというMっ気があるという意味ではなく。
「士郎……、はい。宜しくお願します」
 お辞儀の前に垣間見えたそのライダーの笑顔。彼女がこんな柔らかく、優しい笑顔ができるのだということに初めて気付いた。



 それからある程度の時間が経った。
軽食……とは言ったものの、ライダー自身も久しぶりの再会に気合が入ったのか、出来上がったものは随分と手の込んだものになっていた。
 メインは赤ワイン。これはライダーの希望によるものだった。
 そしてその酒の肴に用意したものがクラッカーだ。上に乗せる具は最初は数種類程度でいいかと作り始めたのだが、作っていけば作っていくほど深みに嵌っていき、結局は二十をも超える盛大なバリエーションに富んだものに仕上がっていた。しかも、味の方だってなかなかイケると自負できるほどものが。
「お待たせいたしました。姉さまが……」

「遅い――ッ!!」

「ひいっ!? ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……」
「…………」
 ――あぁ、なんかここまでくると不憫というレベルをも超越しているようにも思えてくる。
 流石にこれはもう傍観していられる程度のものではない。ホントは俺も彼女らに内心ビクビクなのだけれど、今回に限ってはそうは言ってられない。
「貴女たちのためにライダーが一生懸命に作ってきたんだ。少しはそのことを労ってやってもいいんじゃないか?」
「し、しし、士郎!? 私はそのようなことは気にしていませんから。それに遅くなってしまったのは事実ですし……」
 ライダーが俺と彼女らの間に弁明に入るのだが、それも効果はなく、ギラリと光る彼女らの四つの眼光が俺を貫いた。
「へぇ? たかが人間風情の、しかもブ男が私にケチつけるのかしら?」
「うっ」
 今度は言葉が俺を貫く。俺の胸をグサっと。
 でも、めげない。
「じゃあ、まずは一口食べてみたらどうだ? それできっと分かる」
 何が……とは言わなかった。言うべきとも言いたいとも思わなかった。

 具の乗った皿を次々と食卓の上に並べ、グラスにはワインを注ぎ、準備は完全に整った。
 それは、真夜中の小さな晩餐会。満月を窓の外に見ながら、というのもなかなか洒落ている。
「それでは。どうぞ召し上がってください」
 先程の文句を言ってしまったのがよほど気に入らないのか、彼女らは無愛想にそっぽを向く。けれど、その手はきちんと皿の上のものに伸びていた。
「…………」
 まるで魔眼を発動させているかのごとき視線で自分の姉の様子を伺うライダー。
 自分で作った料理を初めて誰かに食べてもらう……という経験は当然俺にもあった。
 一言で言えば、緊張した。もう一言付け足すと、怖かった。
 もしかすると、今のライダーもそんな気持ちでいっぱいなのかもしれない。
「……はむ」
 二人はまるで一挙一動すらもシンクロしているかのような動きでクラッカーをとり、同じ具を乗せてから口に頬張る。
 サクサク……と、クラッカーの乾いた音が響く。
「ど、どうでしょうか?」
 恐る恐るライダーがそう尋ねると、彼女らは一度目を閉じ、一息置いてからこう告げた。
「……五十五点」
「な――っ!?」
 信じられなかった。勿論、その点数の……『低さ』にである。
 自分で言うのもなんだが、二十近くもある具の一品一品を丹精込めて作った。例えば市販されているようなジャムやチーズなんかをそのまま皿に盛ったというのとは訳が違う。それに、俺もライダーもきちんと味見し、十分だと思ったからこそ、こうやって料理として出したのだ。

 確かに、俺だって最初の料理はかなり酷いものだったと記憶している。
 それでも、切嗣も藤ねぇも文句も言わずに食べてくれた。
 初めてだからという以上に、俺がまだ小さかったから……という理由もあるかもしれない。
 それでも褒めてくれた。
 嬉しかった。
『家族』に褒められるということが、何よりも嬉しかったのだ。

 それなのに、彼女たちは酷すぎる。これは意地悪とか、そんなかわいい言葉で済まされない。
 『家族』にそんな酷評を突きつけられることが可哀相だった。
 俺ももしあのとき切嗣や藤ねぇに「まずい」というようなことを言われていたら、今の自分はなかったであろうとさえ思ってしまう。
 ――きっと酷い顔をしている。そんな彼女にどんな言葉をかけてあげればいい?
「ライダー……」
 それ以降の言葉が続かない。
 そして恐る恐る彼女の横顔を覗き見る……と、
「――えっ?」
 彼女の表情に俺は目を疑った。
 先程までの厳しい視線がいつの間にかとても穏やかなものに変わっていたからだ。
自分の作った料理を食べる姉を優しく見つめる。それもとても満足そうな表情で。
(どうして?)
 そうライダーに問いかける前に、彼女から答えが返ってきた。
「ありがとうございます、士郎」
 耳に口を寄せ、そっと呟くように話しかけてきた。
 近寄ってくるライダーの存在感。妖艶な唇の間からもれる吐息。また、長い髪の毛が俺の耳や頬をくすぐってきて、なんとも気恥ずかしく、居たたまれない気分になってくる。
「な、なんのことだ? それよりもあんなのって……」
 それでもライダーの笑顔は絶えることがない。
「士郎の助力のおかげで、姉さま方に最高のおもてなしができました」
「最高って……、五十五点だぞ? 学校のテストじゃ平均点以下もいいとこだ」
「いえ、姉さま方にとっての五十五点は……殊、料理に関しては満点と言っても過言ではないのですよ」
「どういうことだ?」
「姉さま方が『美しさ』『愛らしさ』に長けた女神であることはお話しましたね。だからそんな姉さま方に求愛を迫る輩も数え切れないほどいたのです。
 そういった輩も自分の容姿なり、剣術なり、舞踊なり、あるいは料理なり……何か一芸をもってアピールしてくるのですが、その中の一つとして、国で選りすぐりの料理人たちが姉さま方に料理を提供したりしたのです。けれど、私が知る限り五十点を超えるような評価を得たものは一人たりともいなかったのです。無論、今ほどに料理の食材や技能が発展していたわけではないですがね」
「つまりは、これが彼女たちにとって今までで最高の料理になったってことか?」
「そう……かもしれません」
 クスリともう一度微笑を浮かべてから、そっと俺の傍から離れ、自分の席につく。
「ほらっ、メドゥーサ! グラスが空になっているのに気付かないの!? 前々からこういうことには細心の気配りをしなさいと言っておいたでしょう!」
「はっ、はい。ただいま……」
 空だったのその二つの杯に血のようなワインがなみなみと注がれる。その様子を見て、俺は思った。
 相変わらずの『主従』関係。
 けれどその関係はどこか好ましい……壁のない、お互いがお互い、皆が皆心を通わせているような関係に見えた。
「ちょっ……、メドゥーサ!! ワインが跳ねたじゃないの!? なんてことしてくれたの!?」
「す、すみません〜〜っ!」
 ……うん。多分、好ましい関係……だよな?







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