それからは食べては喋って、飲んでは喋ってのお祭騒ぎで、最早『晩餐会』などと呼ぶのはおこがましい、単なる『宴会』になっていた。
 勿論、一方的に盛り上がっているのはライダーのお姉さんたちで、「この地、この時代はどんな感じなのか?」とか「その服装は一体なんだ?」とか「あの人間の男と付き合っているのか?」などと、ありふれた下世話な話ではあったが。
 そして極めつけは、その話の悉くにライダーへのいじめを含ませたこと。
「もっ、申し訳ありません!」
 その声を一体もう何度聞いたことだろうか?
 だが、ライダーたちのそんなやりとりに辟易としつつも、俺の口からも自然と笑い声がこぼれ出すようになって、俺自身の彼女らに対する畏怖も大分和らいでいった。

 そんな、ある意味『楽しい』晩餐会は食卓の上の皿が空になったところでお開きとなった。
「それでは、メドゥーサ。後片付けは任せたわよ」
「はい、上姉さま!」
 ライダーはそう威勢よく答えるものの、彼女らがこう並んでいるのを見ると、俺などにはどちらがどちらかなどちっとも見分けがつかない。
 身体的な外見は全く一緒。さらに服装に関しても一緒。また、声も一緒。……これで見分けがつけるなど、妹であるライダーにしかできない芸当だろう。
「さて、頑張りますか?」
 ……と、俺が片膝を立てたときだった。
「待ちなさい。人間は行く必要はないわ」
「はっ? なんでさ?」
 何故か引き止められてしまった…………どっちの姉だかは分からないが。
「人間にはいくつか訊ねておきたいことがあるのよ」
「人間って……俺のことか?」
「当たり前でしょう? それ以外にココに誰がいると言うの?」
「それはそうだが……、俺にだって『衛宮士郎』という名前がある」
「だから? あなたはその『エミヤシロウ』である前に『人間』でしょう。だからそう呼んだまでよ」
「…………」
 流石は稀代の女神。古の時代、何人もの男たちを弄んだきたというその性格は今も尚健在か。
「構いませんよ、士郎。片付けだけならば私一人でもなんとかなります。士郎は姉さま方の話し相手をお願いします」
「いや、でもな」
 すると、少し前にしてきたようにライダーがそっと耳に口を寄せてきた。
「いえ、どうかお願いします。姉さま方を怒らせたくはないので……」
「なるほど……」
 そう言ってライダーは苦笑いを浮かべながら立ち上がり、この場を後にした。
 それを見送りながら、俺は佇まいを正し、彼女らの方へ向き直る。
「……さて、それで話っていうのは?」
「とりあえず、外へ出ます。ついて来なさい、人間」
「はいはい」
 そして俺も同様に立ち上がり、ライダーに背を向けてこの場を後にした。





 庭に出ると、辺りは漆黒に包まれていた。
 当然だ。ここは新都のような不夜城とは違う。深山の地は奥に進めば進むほど明かりを失う。それもこの時間になれば尚更……、恐らく今でも人家の明かりが漏れているのはウチくらいだろう。
「うぅ、寒っ。なんでわざわざ外に出るんだ? 別に居間でもいいだろう?」
 この時間にもなれば、頬を撫でる風も凍えるほどに冷たい。本当ならすぐにでも家の中に逃げ込んでしまいたくもなるが、彼女の手前、そうもいかない。
 でも、ここまで空気が冷え済んでいると、さぞかし天空の……
「月はいつの時代になっても変わらずに綺麗ね」
「えっ?」
 俺の心を読んだのではないかと思えるタイミング。
 だが、ソレを見れば誰でもそう言ってしまうのも仕方がないかもしれない。
 それほどまでに、今宵の月は綺麗だったのだ。
「そう言えば、アンタたちは美しいモノが好きなんだってな」
「そう。あなたとは正反対のね」
「…………」
 相変わらずのこの容赦なさ。……泣きそうだ。
「でも、月はそんなに好きじゃないわね」
「どうして? さっきも今も、しきりに綺麗だって言ってたじゃないか?」
「そう。でも私が本当に好きなのは、その美しいモノで『遊ぶ』ことなのよね」
「えっ!?」
 今向いている方向とは別方向から声がかかる。それが今話していた人物と全く同じ声故に、かなりドキリとさせられる。まるで『同じ』人物が二人いるような感じで。
「確かに、月では『遊べない』からつまらないわね」
「…………」
 また別方向から。
 キョロキョロとその度に首を回すのも大変なので、少し間を取って両方を視界に収めるような位置まで下がった。
 だが、彼女らはそんな俺の動作を一瞥だけして、再び月を見上げた。
「それに引き換え、あの娘は相変わらず最高ね」
「あの娘?」
「メドゥーサよ。『綺麗』なうえに『遊び』甲斐もある。あの娘は私にとって最高の楽しみなのよ」
 『楽しみ』と口にする彼女たち。だが、その表情はどこか……、そう。

 とても冷たかった。

「言いたいことが見えてこないんだが、アンタたちは一体俺に何を聞きたいんだ?」
 そうだ。こんな所まで来たのは彼女らが俺に訊ねたいことがある、と言ったから。それも恐らくは居間ではできない……つまり、ライダーには聞かせられない話なんだろう。

「あの娘は……メドゥーサはここで『幸せ』にやっているのかしら?」

「しあ……わせ……?」
 その唐突な言葉に俺は身を固まらせた。
 酷い話かもしれないが、そんなこと考えたこともなかった。ライダーが幸せかどうか? なんて。
 「多分幸せだろう」……そう考えたことすらなかったのだ。
「悪い。俺には……分からない」
「……そう」
 俺がそう首を振ると、『彼女』は感情のこもらない小さな声でそう呟いた。それが風に乗って俺の鼓膜を叩き、その振動が俺の全身を震撼させた。
 ――怖かったのだ。
 彼女たちに酷いことを言ってしまったのではという恐怖。そして、ライダーのことを真剣に考えたことがないという事実への恐怖。
 だからかもしれない。言い訳がましく、こんなことを言ってしまったのは。

「でも、すごく優しい顔をするようになった」

 それは本当に口からのデマカセか、それとも真実か。そう口にした自分自身でも曖昧に感じる。
 なのに『彼女』はそれに対して微塵の疑いも持つことはしなかった。
「そう。それならあの娘は今は一人じゃないのね」
「今は?」
 そんな俺の切り返しに『彼女』はその表情を苦渋に歪めた。
「そう、『今は』。『あのとき』の私はあの娘を一人にしてしまった。それがあの娘の全てを狂わせたの」
「どういうことか、聞いても?」
「別に難しい話じゃないわ。私があの娘の存在に恐怖を抱いてしまったこと。それが全て」
「どうして!?」
 その激昂を受けても、『彼女』は整然としていた。そして、淡々と『あのとき』のことを語った。

 メドゥーサが人々に忌み嫌われ、『形無き島』に追放されたこと。
 栄華極めた二人の姉はその地位も何もかもを捨て、一人の妹と一緒にその島へ移り住んだこと。
 そこで三人だけの穏やかな暮らしが始まったのだが、それもすぐに崩壊したこと。
 怪物メドゥーサの首を獲りに何人もの英雄が島に足を踏み入れ、また、女神ステンノ、エウリュアレに求愛するために何人もの王族たちが島に足を踏み入れたこと。
 怪物は人々を返り討ちにし、女神はことごとく断わった。
 それだけで済んでいるときは問題ではなかった。問題は、女神に振られた人々が女神に刃を向け始めたこと。
 妹は姉に害を為す者たちに報復を決意し、人々を……殺しつくした。
 しかし妹の行為は次第に加速し、「守るために殺す」のではなく「殺すために殺す」ようになっていってしまった。
 そんなことを彼女らは淡々と口にした。

「普通ならあの娘は人間を殺した後、もしくは殺す前に石化する。だから私たちの神殿にはいくつもの石像が転がっていた。
 でもあるとき、あの娘は相手を殺しても石化させなかった。させずに、その死体を醜く貪り尽くす光景を私は目の当たりにしてしまった。その血走った眼、歪んだ瞳に、私はこの上ない恐怖心を抱いてしまったの」
「…………」

 言葉を失った。
 信じられなかったのだ。あのライダーがそんなことをしていたということが。
 怪物メドゥーサ――そう伝えられるほどなのだから、彼女らが言ったことは事実なのかもしれない。だけど、信じられないのだ。
 俺もライダーとは相対したことがあるから分かるが、彼女の力は恐ろしい。けれどその力を振るうのは全て……『桜のことを守ろうとする』ためだった。
 他の誰が思わなくても、俺はそう思っている。だから……信じられなかった。

「そのときからメドゥーサは人の身を捨てたわ。それが恐らくアナタも知っているであろう『怪物メドゥーサ』の姿」
「違う! ライダーはライダーだ。確かに怖いと感じる時もあるけど、それはアンタたちの言うような恐怖とは違う。確かにライダーの力は化け物じみているけど、ライダーは化け物じゃない!」
 必死な弁明。
 自分が卑下される分には全然構わないけれど、自分の知り合い……自分にとって大切な人物が卑下されるのは堪らなく不快だったから。
「……フフッ」
「何がおかしい?」
 その笑い声だって不快なことこの上ないのだが、
「いえ、おかしいんじゃないわ。嬉しいのよ」
 しかし、彼女はそんな言葉を口にした。
「……嬉しい?」
「だって、そうでしょう? 一人ぼっちだったあの娘には今では大切な守るべき人がいて、アナタのように必死になってくれる人がいる。それは素晴らしいことよ」
「それは……」
「少しだけ悔しいのだけれど、それでもあの娘が幸せならばそれでいい。私たちにとってメドゥーサは……」



「姉さま方、士郎。片付け、終わりました」
 そのとき、夜の空気によく通る声が三人の耳に届いた。その声は真夜中の眠気など吹き飛ばすほどに美しい。
 その声を聞いた彼女らは強張らせていた表情を一度崩してから、別の面を被って振り返った。
「遅いわ、メドゥーサ。身体がすっかり冷えてしまったでしょう」
「す、すみません。これでも急いだ方なのですが……」
 ライダーはしきりに両手を揉んでいた。そこから滴り落ちる雫を見るに、ほとんど手も拭かないくらいに急いで来てくれたことは間違いではなかった。
「それで、姉さま方と士郎は今まで一体どんな話を?」
「えっ? いや、それは……」
 そう問われて、ちらりと彼女らの方を見る。
 すると、無言のまま首を横に振られた。「言うな」ということなのだろう。
「別に。貴女がいつもどんなヘマをやらかしているのか……それを色々と聞いていただけよ」
「なっ!?」
 ライダーの魔眼がギラリと光る。眼鏡越しだというのに、その眼光の鋭さには身を縮みこまされる思いだ。

 でもやはり……、それは怪物に対する恐怖などでは決してない。

「士郎。それは本当ですか?」
「いや、まぁ……それは、何と言うか……」
 もう一度姉二人の方を見やると、彼女らからもライダー同様にきつく睨まれてしまった。
「ハハッ、ははは……」
 これはもう、笑って誤魔化すしかなかった。

 しかし、何故だろう? 彼女らは何故あんな話を俺にしたのだろうか?
 それに彼女らが言っていた話の内容にも違和感を覚える。
 一人ぼっちだとか、今のライダーが幸せかどうかだとか……、別に今急いで、それもライダーに内緒にして聞くべきことでもないように思える。
 これではまるで……。

「姉……さま……?」
「えっ?」
 その声に引かれ、一時考え事を中断する。そして顔を上げた時、そこにはもうライダーの視線も彼女ら二人の視線も俺に向けられてはいないことに気付く。
 その代わりに彼女ら同士がお互いに顔をじっと向かい合わせていた。

 痛いほどに張り詰めた空気が俺たちを包む。直後……月の光が雲に閉ざされたときにそれは起こった。
「メド、――、サ」
「っ!?」
 息を飲む。本当に一瞬のことだったけれど、俺もライダーも目の前の出来事に自分の目を、また耳を疑った。
 まるで調子の悪いテレビのように、一瞬映像と音声が途切れたのだ。ザザッとノイズがかかって。
「姉さま!?」
 ライダーはすかさず彼女らの下に駆け寄り、その手を伸ばす。

 だが、それが二人の身体に触れることはなかった。
「な――っ!?」
 離れて見ている俺でもこれほど驚いてしまっているのだから、間近でソレを体験したライダーの驚きなどは計り知れない。
「姉さ……、そ……、体……は?」
 一陣の風が木々を揺らしては葉同士が音を奏で、ライダーの長い髪を揺らしては唇同士の隙間から言葉にならない声が零れた。
「姉さま、その身体は?」
 もう一度彼女らに聞かせると言うよりは、自分自身に聞かせるために、自分自身を驚きから落ち着かせるために同じ言葉を吐き出した。
「ココの方も相変わらずみたいね」
 彼女らはちょんちょんと、こめかみ辺りを指差して返事をする。
 その様子は怒っているようでもあり、笑っているようでもあるが、その『映像』は先程からずっと揺らいだままで、彼女らの持つ真意は読み取れない。

「そもそもどうして私たちが『現界』していられると思ったのかしら?」

「――――」
 そうだ。再会の挨拶やら驚きやら何やらで、一番肝心なことを聞いていなかった。
 いや。むしろ、その肝心なことを触れたくないからこそ、無意識的に聞こうとしなかったのかもしれない。
 俺はともかくとして、ライダーは特に……。
「英霊……とか言うらしいわね、今の貴女は」
「えっ? えぇ、そう……ですけど、どうしてそれを? ……まさかっ!?」
 ふと脳裏をよぎった想像。
 英霊という存在。サーヴァントという仕組み。それこそがまさに『死者』が『現界』できる方法。
「残念だけど、貴女が今考えているであろうことは外れよ」
「ど、どうしてですか? それ以外はあり得ない。ましてや魂の蘇生などは『魔法』の領域。姉さま方はそんな『魔法』なんて……」
「はぁ。どうして貴女はそういつもいつも短慮なのかしらね」
 呆れた、あるいは見下した態度。そんな様子で彼女らはトンデモナイことを口にした。

「『生きているモノ』は英霊とはなり得ない。故に現代に『現界』できない。例外もあるかもしれないけれどね」

「生きている……モノ?」
 短慮? あり得ない。誰がこんなトンデモナイことを想像できるというのか。
 生きている? あり得ない。数えるのすら忘却に飛んだ時代のモノが現代に生きているなんて。
「ち、違うっ! 姉さま方は私が、私が……確かに……」
「貴女が確かに……どうしたのかしら? 『殺した』とでも言うのかしら?」
「――――ッ!?」
 ライダーにとってそれは、口にするのも恐怖なら、思い出すのも恐怖。
 その事実に、彼女の顔はみるみる青ざめ、肩を抱いて震え出してしまった。
「違う! 違う、違う違うっ! 私は姉さま方を――してなんかいない。いえ、でも、私は確かに……」
「そうよ、違うわ。貴女は私を殺してはいない。けれど私はあのときに死んだの……それは間違いない」
「それじゃあ、アンタたちはライダー以外のモノに殺されたって言うのか?」
「そうね。それなら半分は正解かしら。メドゥーサよりは多少は考えることを知っているみたいね」
「半分? どういうことだ?」
「そのままよ。私はメドゥーサであって、メドゥーサでないものに殺された」
「はぁ?」
 余計に分からなくなった。それに、誰が殺したとか殺してないとか自体、本来考えたくもないことだ。
 そもそも、問題なのはそこではなく……
「『生きている』とか『殺された』とか。アンタたちが言いたいことが全く分からない」
「そう? メドゥーサから聞き及ばなかったのかしら……私たちの特性を」
「特性って。それは確か……『魅力』とか、そういったものだったか? 神々すらも嫉妬するほどの。ちょっと抽象的過ぎてよく分からないけど」
「確かにそう。でもそれでは足りない。神々が嫉妬したのは『魅力』そのものではなく、その魅力が永劫不変という『不老不死』にあったの」
「不老……不死……?」
 それは……万物にとって最大の目標とも言える到達点。恐らくはその神々でも例外ではないのだろう。
「でも、『不老不死』というのは厳密には『不死』とは違うんじゃないか? いくら老いなくたってその身を破壊されれば、殺されれば死んでしまう……そうじゃないのか?」
「そうね。私たちは肉体も魂も『老いる』ことのない存在。故に私たちは未来永劫、この変わらぬままで生き続ける。けれどあなたの言う通り、この身体を破壊されれば私たちは消滅する」
「じゃあっ!」
「じゃあ……、もし生きたまま、その肉体だけが殺されるってことがあったとすれば?」
「えっ? それはどういう……?」
「私たちはメドゥーサであって、メドゥーサでないものに殺された。生きたままその怪物に喰われ、そしてその怪物の一部となった。これがどういうことか分かる、メドゥーサ?」
「……ぇ?」
 突然話を振られたライダーは眼鏡越しでもはっきりと分かる困惑の表情を露にする。そして彼女ははその豊満な胸に手をやり、服をキュッと握り締めた。
「…………」
 だが、ライダーは何も答えなかった。答えを知らないのか、それとも答えを言いたくないのか。
 どちらにしても、ライダーは黙ったまま、一向に答える様子は見られなかった。
 そのとき、そんな風に俯き黙り込むライダーに向かって、二人がそっと手を伸ばした。

「……ホント、バカね。私たちは貴女のココにいるのよ」

 トン……という軽い二つの衝撃が、ライダーの柔らかい肌に弾む。
「えっ?」
 ライダーの胸部に当てられた二人の掌。その周りの空気だけどこか揺らいで見えた。冷たく暗い周りと違い、とても優しく、温かいそうなそこの空気は。
「今の私たちは『生者』でもなければ『死者』でもない。敢えて言うなら、貴女の『パーツ』なのよ。パーツ自体には生きているも死んでいるもない。あるのは存在するか存在しないか」
「姉……さま。姉さま――?」
 ライダーに触れる二人の身体に再び大きな揺らぎが生じる。先程もそうだが、ライダーからは彼女らに触れることは叶わない。だが、彼女らの方からは何故かライダーに触れることができた。
「どうしてっ!? どうして触れられないの!」

「だって、今貴女の前にいるのは幻…… 虚ろなるモノ (ホロウ)だもの」

 二人の手がそろそろとライダーの肌を這い上がっていく。そしてギリギリ届いた頬を、両側からそっと包んだ。
「私の可愛いメドゥーサ……」
 何度も何度も……自分の存在を伝えるように、その手は撫でる。
 その度に二人の虚像は形を失っていき、月の光が昇華させていく。
「どうして私がこうやって貴女の前に現れることができたのかは分からない。たとえこの身が虚像でも……それでも、私には貴女にどうしても言いたいことあったの」
「私だって! 私だって姉さま方に言いたいこと……いっぱい、いっぱいあったんです」
「……そう」
 子供のように泣きじゃくる妹は二人の姉を見下ろし、子供あやす母のように穏やかな二人姉は妹を見上げていた。

「メドゥーサ……。私たちは所詮『虚像』。でも貴女の存在は『実像』」
「今の貴女には、そこに確かな現実がある」
「確かに英霊という縛りはあるけど、『あのとき』からすれば今の貴女はまさに自由」
「貴女の目の前には望めば掴めるモノがいくつでもある」
「貴女はもう十分に苦しんだ。それこそ生まれたそのときからずっと……」
「この世界は等価交換。そろそろ払ってきた代償を返してもらってもいい頃じゃない?」
「幸せになりなさい、メドゥーサ。貴女にはその資格がある」

 一続きの言葉は二人が同時に喋っているように言い放つ。
「そんなのないです! 姉さま方を殺した私に、そんな資格なんてない! むしろ、幸せにならなければならないのは姉さま方の方だった。なのに……っ」
 ライダーの瞳からは止め処なく涙が溢れ出る。月光を浴びたソレは宝石のよう。
 そしてソレは雨と化して届かない二人の手に降り注いだ。
「ホント……バカね。『私』はどうだったか知らないけれど、私は幸せだったわよ」
 隣を一瞥してからそんなことを口にするステンノ。
「あら? それは私の台詞よ。私は『私』以上に幸せだったわ」
 少しだけ膨れた表情で言い返すエウリュアレ。
「それに、今日の晩餐会……とても楽しませてもらったわ。料理もおいしかったしね」
 そして二人して、軽快なウインクと共にそんな言葉。
「姉さま方も……楽しかった? 幸せだった?」
 その言葉に、ただただ呆然するメドゥーサ。
 
 二人の身体が宙に浮く。
 既に足の消えた彼女らの虚像はまるで『幽霊』。けれど、彼女らは幽霊とはとても思えないような温かい笑みを浮かべていた。
「メドゥーサ。ようやくこれで対等ね」
「あ……」
 浮いていく彼女の視点がライダーと並ぶ。それは『成長』しない彼女らにとってはあり得ない視点の高さ。
 そしてこんな虚像となって、ようやく手に入れた……二人の姉のたった一つの願いを叶えることのできる視点だった。
「ずっと……こうしてあげたかった。ずっと……言ってあげたかった」
「姉さま……」
 もう一度、二人の手がライダーに向かって伸びる。
 今度は胸にではない。今まで届かなかった彼女の…………

「良い娘ね、メドゥーサ。本当に…………ありがとう」

 ステンノとエウリュアレ。
 二人の姉がしてあげたかったこと……それは、そんな「ありがとう」の一言と、ライダーの頭を撫でてあげることだった。
「あっ、あぁ……、ああぁ……」
 見上げることしかできなかった妹の頭を何度も何度も撫でる。今までできなかったことの想いを全て込めて。
「ずっとこうしてあげたかった。ずっと……感謝してたのよ、これでも私たち」
「うっ、うぅ、あ、あぁ……」
 塞き止められるものを失った涙は、何にも邪魔されることなく、重力のままに地面に零れ落ちていく。
「貴女は本当に背が高いから。羨ましかったのよ……貴女の背の高さ。でも、ようやく……ようやくこうしてあげられたわ」
「姉さま、姉さま……、姉さま……」
 ライダーの手が二人の姉を求めて宙を彷徨う。けれど、やはりライダーの手では彼女らに触れることは叶わなかった。
「……そうだ。それとね、メドゥーサ? 以前『私』が貰った素敵なプレゼント。あのときは私、貴女に渡しそびれちゃったから、今……渡すわ」
「まぁ。もしかしてあのとき私が頂いたあの素敵な贈り物かしら? まったく……まだ渡していなかったなんて」
「そう言わないで。今ならば、渡すのにちょうどいいじゃない?」
「……そうね。確かに『私』の言う通りだわ」
 二人は何かを言い合い、そして頷き合うと、エウリュアレは服の中から何かを取り出した。
「姉さま……、それは?」
「どう、メドゥーサ? とても綺麗でしょう……、とても」
 取り出されたのは、銀色のアクセサリー。それは彼女らの身体とは異なり、しっかりとした実像を持っていた。そしてその実像は、月光を反射して確かな光を湛えていた。
「貴女は背だけじゃなく、髪の毛も長いから」
 ステンノはそう言って、ライダー長い髪を梳いた。その度に流水のように指の隙間から零れ落ちるのだが、それでも飽きることなく髪を梳き続けた。
「メドゥーサに似合うかしらね?」
 アクセサリーを持つエウリュアレの手と髪の毛を梳くステンノの手が重なり、一つとなる。一つとなって、二人一緒にそのアクセサリーをメドゥーサに……渡した。
「あっ。これ…………髪留め?」
 ライダーの髪に沈むように差し込まれたそのアクセサリーは髪留め。本来彼女の髪の量を考えれば、それはあってないようなモノ。なのに、光湛えるそれはそれ単体でも溢れんばかりの美しさと魅力を放ち、さらにはライダーのその長い髪の色によく映えた。
「うん。とてもよく似合っているわ、メドゥーサ」
「本当。やっぱり私たちの妹ね。とても……綺麗よ、メドゥーサ」
「姉さま……。あ…………と……」
「よく聞こえないわ。もっとはっきりと物を言いなさい。ずっとそう教えてきたでしょう」
 相変わらずの叱咤だが、その表情は柔らかいまま。
 変わることなく、変わらないまま……二人が消えていく。足から胴。さらには、胸部から頭部すらも消えかかっていた。
「そろそろ時間……みたいね」
 エウリュアレがそう言うのと同時に、雲に隠れながらもうっすらとは見えて月が完全にその姿を消失させた。
「えっ? ま、待って、姉さま! 私、まだ……まだ何も……」
 ライダーは自分より高くなった手を伸ばすけれど、もう虚像の部分にすら届かない。掴むのは彼女らの身体ではなく、夜の虚空。月の光を失った、漆黒の闇。
 その虚しさが、彼女に悲鳴を上げさせた。
「姉さま、ねえさまぁ……。行かないで。せっかく……、せっかく会えたというのに! もっともっと……言いたいことがいっぱいあるのに!」
「大丈夫。私はいつでも貴女と共にいるわ。だって、私は貴女の一部なのだから」
「――――ッ!」

「さようなら。いえ、『またね』……メドゥーサ」

 そんな言葉を残して、二人は闇の中に露と消えた。
 最後にもう一度だけ……彼女の頭を撫でて。

「姉さま、姉さまぁぁ――――っ!!」
 二人の消えた衛宮邸の庭に、ライダーの悲痛な叫び声だけが木霊する。それは、ざわめく林の葉擦れの音と混じり、辺り一体が泣いているようだった。

 再び天の月が現れたとき、二人の姿はもう何処にもなかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「あ、先輩。もしかして先輩もお出かけですか?」
 翌日、朝食を終えた俺が暇つぶしに道場にでも足を運ぼうとしていた時、ふと誰かに呼び止められた。
「よぉ、桜。俺は別にそんな用は……。それより『も』ってことは、桜はこれから出かけるのか?」
「あっ、はい。ライダーと一緒に」
 その人の言葉に俺はピクリと緊張を走らせる。
 あれ以来はライダーとは顔も合わせていない。朝食のときも「少し体調が悪い」と言って食べに来なかったし。
 それにもし会ったとしても、ライダーの顔を合わせられるかどうかも微妙だった。
 昨晩のあの出来事を、ライダーのあの涙を思い出すとどうしても……。

「士郎ですか? おはようございます。朝はすみませんでした」
 だが、そんな思いは俺の杞憂だったのか……今日のライダーはいつもと何も変っていなかった。変わらないまま、いつものように桜の隣に立っていて、俺にもいつものように挨拶をした。
「お、おぅ。おはよう。体調はもういいのか?」
「はい、おかげさまで。少し……睡眠不足だっただけですから」
「…………」
 唯一、いつもと違う所があるとすれば、それはライダーの目が赤く腫れていたこと。ただの睡眠不足というのにはちょっと目立ちすぎているかもしれない。
 睡眠不足というのも嘘ではないだろうが、もしかしたら夜通しずっと……。
「もぅ。読書もいいけど、夜更かしするのはダメよ、ライダー。お肌にも悪いし」
「はぁ。今後気を付けます」
「うん、よろしい。昨日もそのために鏡をあげたんだし」
「――――」

 昨日の鏡――それは、まるであの『合わせ鏡』の伝承に準えたような不思議な出来事を引き起こした鏡。
 桜は昨日あったことに本当に気付かなかったかのだろうか?
 ライダーが『泣いていた』ことに本当に気付かなかったのだろうか?

 ――いや、そんなことは俺がどうこう言う問題ではないな。
 桜は何も聞いてこない。ライダーは何も言ってこない。
 ならばそこに俺ができることは何もない。ライダーはライダーで、桜は桜で何か心にしていることがあるのなら、俺が彼女らの中に介入すべきではないと思うから。

「あっ。もし宜しければ、先輩も一緒にどうですか?」
「いや、今日は止めておく。二人で楽しんできてくれ」
「そう……ですか」
 その答えに桜は少しだけシュンとなるけれど、すぐにその表情を和らげ、ライダーの腕を取った。
「あ〜あ、フラレちゃいました。女二人で仲良く買い物に行きましょう、ライダー?」
「えぇ、そうしましょう、サクラ」
「ム……」
 すると二人合わせたように少しだけ意地悪そうな表情を浮かべてこちらを見やる。こういうときの彼女らはやはり本当の『姉妹』のようにも見えてしまう。
 勿論それはとても好ましいことだ。
 桜だけでなく、ライダーまであんなに楽しそうな顔をしているのだから。

「ライダー」
 そんな彼女の背中をふと呼び止めて、一言だけ……

「桜のこと頼むな。守ってやってくれ」

 すると彼女も足を止めて振り返る。
 その長い髪をたなびかせ、また、その髪に留めた銀の髪飾りを輝かせて。
 そして、魔眼とはとても思えないほどに優しい視線を向け、俺にこう言葉を返した。


「ええ。それが私の……『幸せ』ですから」


 二人は並んで歩んでいく。手を取り合って。
 そしてもう片方の手に持ったそれらで『合わせ鏡』を作りながら。

 そこに見えるものは、きっと……。







<了>



 

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