「結構、すごい人だなぁ……」

 あの地獄の車旅、数時間を乗り越えて、俺たちは白銀の世界へと足を踏み入れていた。
 一度今日宿泊する民宿に荷物を預けてきてから、俺たちはようやくスキー場に到着した。
 時間にして……4、5時間といったところだろうか?
 太陽は既に真上に達していて、このスキー場の雪を眩しいくらいに反射させるほど輝かしい光を降り注いでいた。

 だが、ここで『一人』という単語を使うのも少し滑稽すぎた。
 見渡せば周りに、人、人、人……
 互いに知り合いではなくても、人と人の間隔がこれほどまでに短いと、『一人』と言うのは少し語弊があるような気がしてならなかったのだ。
 そして、そんな俺は『一人』で何をしているのかと言えば、先に滑りに行った皆に見られないように、こそこそと歩きの練習をしていた。

 ……なんで皆あんなに上手いんだ?
 セイバーやライダーだって初めてのはずなのに、それこそ魔術のようにスキーの板を操っていたのには閉口させられてしまった。
 やはりサーヴァントというのは格が違うのだろうか?
 そして、イリヤは宣言通り、まるで妖精が舞うかの如く、可憐かつ華麗な動きをしていたし、遠坂も普通に上級者レベルといったところだ。また、藤ねぇも遠坂といい勝負ができる程の腕前だったし、桜も普通に滑る点では全く不安を残さない滑りをしていた。
 つまりは、このメンバーの中で俺だけがずぶの初心者。
 そんな訳で俺は、とある理由から皆とリフトに乗らず、ゲレンデの一番下で待っていたのだった。
 そこに……

「はぁ〜い、衛宮くん。お・待・た・せッ」
「ブハッ!?」
 俺の顔面に雪を撒き散らすようにエッジを大きく効かせて、彼女は俺の目の前でストップした。
「……遠坂〜〜?」
 口の中に入った雪を吐き出し、ギリギリとストックを握り締めながら遠坂を睨みつけるのだが、彼女はサングラスをしているせいか、イマイチ効果がないような気がした。
 そして俺はいつしか、睨みつけると言うよりも、彼女のその姿に魅入ってしまっていた。
 遠坂の色――とでも言えてしまうくらいに似合っている、その赤と黒のコントラストの映えるスポーティなウェア姿。カジュアル風なだぼっとしたものでなく、身体のラインにフィットしたそれは遠坂の引き締まった身体のラインに合いまって美しい姿を描き出していた。
「…………」
「どうかした、衛宮くん? 何か私についてる?」
「……い、いや、ただ、上手いなぁと思っただけ」
「そっ? ありがと。でも、私なんてまだまだよ。セイバーはともかく、イリヤとライダーは別格ね。少なくともインストラクター位には十分なれる実力持ってるわよ、あの二人は」
「イリヤのはさっき見たけど、ライダーもそんなに上手いのか?」
「えぇ、これでもないくらいに……ね」
 遠坂が俺から顔を逸らし、明後日の方向を向く。
 そして俺もそれにつられ、その方向を見やると、まさに今そのライダーと桜が滑り降りてくる最中だった。
 とは言え、その二人の距離も結構ある。恐らくは桜の様子を後ろから見守りながら滑っているのだろう。ライダーの桜への献身ぶりは少し目に余るものがあるからな……

 俺はそう苦笑してまもなく、桜も遠坂の真横に並んで止まった。
「あぁ、先輩。お待たせしました」
 かけたゴーグルをくいっと額の上にずらし、俺に軽く頭を下げた。
 その際に、ふわりと揺れる桜の長い髪。
 雪から汗かは知らないが、少し濡れたその髪はこの太陽の光を反射してきらりと光っていた。
「いや、大丈夫だよ、桜。それよりも桜はどんどん上手くなっている気がするな。さっき降りてきたときよりなんかよくは分からないけど、綺麗な滑り方になっていたと思う」
「そうですかっ!? 実はずっとライダーに教えられながら滑ってるんです」
 目を嬉々と輝かせながらそう言う桜。
 誰だってそうかもしれないが、自分が上手くなっているということがやはり嬉しいのだろうな。
 そう思うと、桜だけでなく、何故か俺の方も嬉しくなってきてしまい、顔を緩めた。
「やっぱりライダーの教えが良いんですね」
 そして俺たちはまたゲレンデの上へと視線を戻す。
 そのときに出来事は起こった。
 桜が無事に滑り終えたのを確認できたおかげか、ライダーが突然スピードを上げたのである。しかも、特に人が多いゲレンデの一番下で、である。
 また、もうここまで来ると斜度もほとんどないが故、スピードなど出るはずがないのに、彼女は恐るべきスピードで俺たちに迫ってきた。
「うあっ、危な――」
 あのスピードとこの人ごみ。衝突事故を起こしてもおかしくはない要因が揃っている。しかもその人ごみの中にはまだ小さな子供たちもいる。そんな子供たちに衝突でもしたら……
 そんな危機感からつい叫び声を漏らしてしまうのだが、隣にいる姉妹二人は全く平然としてその様子を見守っていた。
 そして、ついにライダーの前方に人が出る。
 やばい! 絶対にぶつかる!!
 そう思って目を瞑りそうになってしまったとき、俺は目を疑いそうになった。
 高速で走る車が突然目の前に現れた障害物を避けることが出来ないように、高速で滑走する彼女もまた避けられるはずがなかった。
 万が一避けられたとしても、ライダーはその後激しく転倒してしまうか、あるいはまた別の人にぶつかってしまうかもしれなかった。
 だが、俺の目の前で起こった出来事はそのどちらでもなかった。
 高速ではなく、まるでスローモーションのコマ送りでも見ているかのよう。
 人を避ける、避ける、避ける、避ける……
 人ごみのわずかな間を縫うように高速で滑走していくライダーの姿。
 それは、格好良いとか綺麗とかそういうのじゃなくて、ただ……すごかった。
「ああ、士郎。もう大丈夫なのですか」
 その滑走で乱れた眼鏡を元に戻しながらそう尋ねてくる。
 何が大丈夫なのかと問われれば、恐らくそれは、ビンディングの調整のことだろう。
 何故なら、俺が今みんなと滑りに行っていない理由がそれなのだから(ちなみに、勿論個人的な理由からの嘘なのだが)
「あ、あぁ……まぁ、なんとか……な」
 後ろめたさに後ろ髪を引かれながら、俺はライダーから視線を逸らした。
 いや、ライダーからだけじゃない。ここにいる皆に『嘘をついている』という後ろめたさが、そんな皆から視線を逸らさせていた。
 それと同時に、俺は視線だけでなく話も逸らそうとする。
「そ、そう言えば、他の連中はどうした? あとは、セイバーと藤ねぇと……イリヤか?」
「うん? そうね……セイバーたちならすぐに降りてくるわよ。それこそすごい勢いで、ね?」
「はぁ?」
 遠坂がクスクスと笑みを浮かべながらそう言うと、それが伝染したかのように桜やライダーも笑みを零した。
「どういうことだよ?」
「どういうことも何も、見てれば分かるわよ。ほらっ、もう一度上見てて。『すごい勢い』だから見逃さないでよ?」
「…………」
 もう何度目になるか、このゲレンデの上下を反転させる。
 ……いい加減、首が疲れてきたな。
 少し気だるい気持ちになりながらも、おれは再度上を見上げる。
「なっ!?」
 遠坂や桜を確認できた時のように、数十m先に来ているわけではない。
 まだ遠い、あの混雑の中なのに、俺は確かに3人の姿をはっきりと認識していた。
 だって、遠坂の言う通り、『すごい勢い』で川の字を描くシュプールの影が3つ、俺の視界いっぱいに広がっているのだから。
「まさか……、アレ?」
 既に俺の頭の中では確信してしまっているのだが、とりあえず聞いてみる。
 すると、三人申し合わせるようにしてコクコクと頷いてみせた。
「やっぱり……か」
 ハァという大きなため息と共に、俺はその三つの影を追う。

 ……確かにものすごい勢いである。
 ああいう滑り方は確か、直滑降とか言ったはずだ。まぁ、あいつらなら好きそうな滑り方であることは間違いないが。
 そしてどんどんと迫ってくる三つの影。
 だが、その一つだけが川の字から外れて、別の方へと滑っていく。
「……ぁ。あれって、もしかしてイリヤか? どうしたんだ、あいつ?」
 一人外れた彼女のことが心配になる。勿論それは今朝の出来事があったせいだ。
「イリヤッ!」
 彼女に向かって駆け出そうとするのだが、スキーのブーツではいつもと全く勝手が違う。数歩走り出したところで俺は転倒してしまっていた。この冷たい雪の上に。
「うわっ――たぁ!?」
「何……やってるのよ、あんた」
 頬に当たるこの雪の感覚以上に、冷たい視線が俺の真上から投げかけられる。
「別に、何でも……」
 なんか、滅茶苦茶恥ずかしいことしてるよな、俺。
 しかし、そうして遠坂とは逆方向に顔を上げた時――

「いっちばーんッ!」
 そんな掛け声と共に、俺の視界が白に包まれた。そして、顔を上げたはずなのに、また冷たい感覚が俺の顔面を覆った。
「な、なな、何だ、一体?」
 顔を覆ったそれを払いながら、俺は把握できない事態を確認するためにその白の奥を見やる。
 だが、さらにその次の瞬間――
「い、今のはノーコンテストです! タイガはフライングしましたから」
 さっき同様、そんな大きな声と共に俺の視界がホワイトアウトし、俺は再び雪上に倒れこんでしまった。
「…………」
 あぁ……、今日の俺ってとことんマヌケだ。

 白く輝く天と地。
 どっちが天でどっちが地だかよく分からないが、俺は身体を大の字にさせながらそのどちらかをぼーっと見つめていた。

 って、寝てる場合じゃないだろ、俺は!
「イリヤはどうした!?」
 俺の覗き込んでいたその二人――俺に雪をぶっかけた張本人、藤ねぇとセイバーをどけると、さっきイリヤが外れた方向へと視線を向けた。
 だが、さっきの所には見当らず、俺に一層の不安をかきたてた。
「お、おいっ! イリヤが何処行ったか知らないか!!」
 その不安の高まりのせいか、俺は相手のことも考えずにただ肩をきつく握り締めながらそう問いただす。が、それはもはや激昂と呼べるものになってしまっていたかもしれなかった。
「シロウ、ちょ……っ、落ち着いてください。少し、痛いです」
「あ……、悪い、セイバー」
「いえ、気にするほどのことではありません。それと、イリヤスフィールのことでしたら問題ありませんよ」
「どういう、ことだ?」
 そんな俺の疑問に、今の痛みも忘れ、二コリと微笑んで答えてくれた。
「聞こえませんか、シロウ? 貴方を呼ぶ声が」
「俺を呼ぶ声?」
 その言葉に従い、俺は目を閉じて耳を澄ます。
 だが、これほどまでの人による雑音とゲレンデに流れる曲やアナウンスが俺の耳にノイズのようにフィルターとしてかかる。
「ちぃ……」
 焦りがまた更なる不安を呼び、そして集中力を乱す。
 だがそれでも、僅かながらに確かに聞こえた……イリヤの声が。
「…………」
 それは多分、お互いが魔術師だから。その魔力という要因が俺とイリヤを繋げてくれている――そんな感じだった。

「シロウ〜。こっち、こっち〜!」
 俺の心配など全く無用に思えるくらいのイリヤのその明るい声。
 それが一度耳に入ってしまうと、もう周囲の雑音など気にならないくらいにイリヤの声が俺の内側を満たしていった。
「イリヤ。あいつ……」
 彼女が立っているのは、通常の滑走路から少し外れた所。特徴と言えば、その前方に一つ大きな丘があるということくらいだろうか。
 イリヤはそこで、俺に向かって大きく手を振りながら呼びかけ続けていた。
「なぁ、遠坂? イリヤはなんであんな所に行ったんだ?」
「分からない?」
「ああ。だから聞いてるんだが」
「……少しくらいは考えなさいよ、全く。
 あのねぇ、衛宮くん? あの娘は衛宮くんに自分の姿を見てて欲しい……ううん、見せたくてしょうがないのよ」
「見せたい? 一体、何を?」
「だからぁ、それを今から見せてくれるんだから、ちゃんと見ててやりなさいよ?」
「あ、あぁ……」
 そして俺は視線をイリヤの方へ固定させる。
 それは確かに今遠坂に言われたからという義務的なものもあるが、それ以上にやはり好奇心があった。そして何より、イリヤの楽しそうな微笑む姿が見たかったから……
「イリヤぁ〜」
 だから俺は、周りの視線すら気にせずに大きく両手を交差させるようにして手を振り返した。
 俺のそんな応えに、イリヤはにっこりと満面の笑みを浮かべてくれた……ような気がした。無論、遠すぎて表情の詳細など分かるはずもないのだけれど。

「行っくよ〜、シロウ〜ッ!!」
 大きな掛け声と共に、イリヤは一度身体を大きく伸ばす。そして滑り始めるのと同時に、今度は身体を小さく縮ませた。
「…………」
 体勢を低くし、手を後ろで組みながら滑降するその様は、テレビなんかでもよく目にしたことがある。
 しかも、その前方には一つの大きめな丘。
 つまり、そのまま行ったら……
「イリヤ、まさか――――!?」
 この次の言葉が俺の口から出るよりも早く、イリヤは――――――――飛んでいた。
 そのスピードのせいか、その丘のジャンプ台の角度のせいか、はたまたイリヤの身体の軽さのせいか……、イリヤのジャンプは最早ジャンプとは呼べず、まさに飛んでいた。地表から数mの高さのところを。
 そして俺は息を飲んだ。言葉にはできないこの光景を目の当たりにして。
「――――ッ」
 宙に舞ったイリヤの身体が後方へ宙返り。それに加え、横への捻りを一回転。
 雪上だというのに、まるで体操競技と身間違えてしまうほどのその動きに、俺は見惚れてしまい、指先すら動かせないほどに硬直してしまっていた。
 いや、きっとそれは俺だけではないはずだ。この光景を見た全ての人間が俺と同じ状態に陥ってしまったのではないかと思う。
 また、皆もこの光景を見て、こうも思ったはずだ。

 雪の妖精が舞っていた――と。

「やっほー、シロウー!」
 最後も華麗に着地を決めたイリヤは、そこで止まることなく俺たちの方へと滑ってきた。
 そして、そのままの勢いで俺の胸の中に飛び込んでくるのだった。
「……っとと! ……ふぅ、おかえり、イリヤ」
 抱きとめた反動と言うか、彼女の突進を受け流した勢いで、彼女を抱きしめたまま俺はくるりと回転する。
 さっきの飛翔が楽しかったのか、そのくるくると回る行為が面白かったのか、それとも俺の所に来れたのが嬉しかったのか、あるいはまた別の理由なのかもしれないが、イリヤは俺に向かって満面を笑みを浮かべてくれた……今度ははっきりと俺に見えるように。
「ただいま、シロウ」
「……まったく。時々とんでもないことをするよな、イリヤは?」
 そして俺は彼女のその頭に手を置き、くしゃくしゃとかき乱す。
 たとえ俺が勝手に心配したとしても、それでも俺を少しでも心配させたんだ。これくらいやってもバチは当たらないはずだ。
 そう思ってその行為を続けるのだが、イリヤ自身、別に嫌に思っていることもないようで、ただくすぐったそうに目を細めていた。
「そ、そうかな? 別に大したことじゃないよ。……でも、まずかった、今の?」
 イリヤの瞳に翳りがさす。
 けど、俺はその翳りを吹き飛ばせるように、この小さな身体を抱きしめて言ってやった。
「そんなことはないさ。すごく格好良かった。意識ごと奪われるくらいにだったぞ?」
「ホント? ……えへへ」
 そう無邪気に微笑み、そして俺の胸板に自分の顔を摺り寄せてくるイリヤの姿を見て、俺は素直に可愛いと……そして、愛しいとすら思った。

「う〜ん……」
 そんな俺たちの様子を見て、皆が皆、顔をしかめていた。
 何でそんな顔してるんだ?――そう俺が尋ねようとする前に、そんな皆を代表してか、一応年長者?の藤ねぇが口を開いた。
「ど、どうかしたか、藤ねぇ?」
「う〜ん。なんかね、士郎たち二人を見てると、本当の兄妹のように見えてきてね……何だかなぁ〜ってね」
「えっ?」
 その言葉に俺はイリヤと顔を見合わせた。
 俺とイリヤが兄妹?
 確かに今は同じ家に暮らしているし、父親も一緒だし、兄妹と言えば確かに『兄妹』と言えよう。
 だけど……なぁ?
 どうも釈然といない思いで彼女のことを見つめ続けていると、彼女の小さな頬がまるで餅のようにぷくーっと膨らませた。
「タイガ、違うよ! 私たちは『姉弟』であって『兄妹』じゃないもん!」
「…………」
 その単語に、俺すらも含めた皆が怪訝そうな面持ちになった。
 そして、「どうあっても、イリヤの方が妹だろう?」――そんな考えが皆の間でシンクロした。
「むぅぅ〜〜ッ」
 そんな俺たちの表情を読み取ってか、イリヤの頬はまさに本当の餅のように、膨らむだけでなく、赤熱した。
「シロウ、行くよ!」
「はぁ? 行くって……何処……に!?」
 と言い終える前に、俺の視界が大きく揺れた。
「なっ!?」
 そして、何かに引きずられるような感覚が俺を襲う……と言うか、今の俺は実際に引きずられた。しかも、イリヤの細い片腕一本……とは言っても、まぁ、スキーの板による摩擦抵抗の無さのおかげなのだろうが。
「ちょ、ちょっとぉ!? イリヤちゃん、士郎……何処に行くのよ!?」
 しかし、藤ねぇたち皆、ボードからブーツを外し、そのブーツの金具も緩めてしまっていたため、すぐには動くことができず、俺たちを追うことができない。
 そしてイリヤ(+俺)はその隙に乗じ、リフト乗り場の人の中に紛れる。
「イリヤ、衛宮くん! あなたたちっ!?」
 そう遠坂が叫び声を上げるのだが、リフトの駆動音や人の話し声などですぐにかき消され、聞こえなくなってしまっていた。



「お、おい、イリヤ? いいのかよ、皆を置いていって?」
「いいのかって……何が?」
 俺のことを離すまいと、がっちりと腕を組むイリヤと二人並んでリフトを待っていた。
「何がって……、そりゃまずいだろ? 何も言わずに単独行動なんかしたら」
「単独? 違うよ、私とシロウの二人で行動してるんだから、単独行動とは言わないよ?」
「……イリヤ? そういうのは『揚げ足取り』って言うんだぞ?」
「いいの、いいの。それよりもシロウはそんなこと言える立場じゃないと思うんだけどなぁ?」
「うん? 何のことだよ?」
 小首を傾げて聞き返す。
 すると、イリヤは口を吊り上げ、そして組んだ腕の肘で俺の横腹を小突きながら答えた。
「だって、シロウ? 皆と一緒にスキーするのはまずいんじゃないの?」
 ギクゥ――ッ
 いくら雪山とは言え、こんな良い天気のゲレンデなのに、俺は流れ出た冷や汗で凍り付いてしまった。
「な、なな……何を、言ってるんだ、イリヤは?」
 アハハ――と笑って誤魔化そうとするも、イリヤのその視線は誤魔化しなど一切通用しない、鋭く真っ直ぐなものであり……、第一、イリヤの瞳を見つめること事態が危険でもあった。
「だからぁ、シロウってスキー出来ないんでしょ? しかも皆の中でただ一人……」
「ぐッ!? ……なんで、知ってるんだ?」
「そんなの聞かなくたって分かるよ。
 シロウがこの旅行に反対してたこと。今朝『格好悪いから言えない』と言っていたこと。そしてスキー場に着いてからのシロウの振る舞い。これらから推測すれば誰にだって分かっちゃうよ」
 ……確かにそれらこそがまさに、『俺がスキーが出来ない』という要因によって派生した行動だった。
 ということは、もしかして……
「なぁ、イリヤ? もしかして皆にも見破られてる?」
「う〜ん。多分それは大丈夫じゃないかな。リンやライダーあたりは薄々とは気付いちゃってるかもしれないけどね」
「そっか。完全にばれてるって訳じゃないんだな…………良かった」
 とりあえずは他の皆にはばれてなかった事に俺は胸を撫で下ろす……のだが、それも束の間。今の俺には次の問題が迫っていた。
「あっ、順番来たよ。次のに乗るから準備して」
「……はい?」
 ポーンと無機質な音が真上のスピーカから流れ出る。
 その音を聞いて、俺はようやくイリヤとの会話の世界から切り離され、現実に向き合うことができた……と言うよりはむしろ向き合わされてしまった、と言った方が適切かもしれない。
「ほ〜ら。後ろがつっかえちゃうから、行った行った……」
「え? えぇ?」
 背中に走る、トンというとても軽い衝撃。それはもう本当に『感触』と言っても差し支えのないものに軽い衝撃だった。
 しかし、そんな軽い衝撃にも関わらず、押された俺の身体はゆっくりと前へ滑り出す。
「ぉ……、おぉぅ!?」
 何度も滑り慣らされたシュプール……と言うか、溝に沿ってスキー板が勝手に滑り出していくのだ。
 さっきのビンディングの調整のとき、店の人が丁寧にも板にワックスを塗り直してくれたのが仇になっていた。
「イ、イリヤッ! これどうやって止まるんだ!?」
「足を内股にすれば止まれるよぉ」
「う、うぅん……、ダメだぁ!」
 焦りのせいか、そんな簡単なことも上手くこなせず、俺の前進は止まらない。
 それを……
「大丈夫ですか?」
「あっ、す、すいません!」
 係員の男性に片腕を支えられ、なんとかその進行を止めた俺は、その場にへたり込むように腰を下ろした。
 ドン――と腰を下ろした所が大きく震え、そしてちょうどふくらはぎの所に突かれるような衝撃があった。
「……ぁ」
 座ってからもガコンガコンと激しく揺れる椅子ではあったが、背もたれによりかかれたことで、俺はふっと安堵した。

「……大丈夫、シロウ?」
 俺のすぐ隣で呟く彼女に寄りかかるように耳を傾けた。
「……あぁ。おかげさまで、ね」
「もう、そんなに拗ねないでよ。今のシロウには少し荒療治必要なんだから、仕方ないでしょ?」
「荒療治って……、何だよ、それ?」
「だって、シロウ? このスキー旅行は始まったばかりで明日も続いていくんだよ? いつまでも隠し通せるはずが無いんだから、今の内に最低限滑れるようにしておかないと……」
「ってことはもしかして、これから滑りの練習しに行くのか!?」
「当たり前でしょ? 私たちはスキーをしに来たんだから」
「で、でも、なんだかこのリフト……滅茶苦茶高くまで続いてるみたいなんだけど?」
 終着点がまるで見えない。
 このリフト以外のは、既に終着点を過ぎていたり、まもなくだったりするのに、このリフトだけはいまだ果てが見えず、高く高く上っていく。
「…………」
 別に高所恐怖症というわけではないが、高度があがるにつれて、俺の身体の震えが増していく。
 そして極めつけはこれだ。

「だって、これ……上級者用コースのだから」

 この、娘っ子は……
 スキー板履いてまだ一時間も経っていない人間を上級者コースに連れて行く馬鹿がどこにいる?
 ギロリと睨むように隣のイリヤに視線を投げかけるのだが、まるで気にしてない様子で微笑み返した。
「ああぁーー、もーーッ!!」
 頭を掻きながらそう叫んで出されたその声は、辺りに流れる冬の定番ソングの音と微妙にハモり、遠く見えないこの山の上の方まで響き渡った……





 

 

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